2011年12月17日

伊上勝評伝

伊上勝

特撮において、彼の名を知らないものはモグリだ、と言えるくらいの立役者。

仮面ライダー、仮面の忍者 赤影、隠密剣士、悪魔くん、サイボーグ009、河童の三平、超人バロム1、変身忍者嵐、人造人間キカイダー、ロボット刑事、イナズマン、勇者ライディーン、5年3組魔法組、アクマイザー3、忍者キャプター、超神ビビューン、大鉄人17、なんてのは、私もしっかり?見ていた特撮&アニメである。もちろん、これは抜粋。ついでに言うと、水戸黄門などもあり。

これも?え、これも??と読めば読むほど、自分が彼の脚本に育てられたような気になるラインナップである。
そして、何よりも読みごたえがあるのは、息子の井上敏樹による父の回想である。
プロの物書きとしての井上敏樹の家族の記憶ももちろん素晴らしいのだが、それ以上にぐっさり来たのは、同じプロとしての客観的な分析であった。
補足として、彼は言う。
「見方を変えると、父の限界は、当時のヒーロー物の限界を物語っている、と言えなくもない。」
ヒーローものの誕生は、我々一般人の安全への欲求がその土壌となっており、町のチンピラから救ってくれるお兄さんを待ち望んでいる。
だが、このお兄さんがチンピラから私たちを救ってくれた後に取る、一番ありがたい行動は何か。
「黙って立ち去ってくれる事だ。」
「ウルトラマンを最初に考えた人間もこのあたりの事情をよく分かっていたに違いない。」
「究極のヒーロー性という点で同種なのだ。」
巨大な宇宙人としたことで、我々と関わりにくくし、さらにカラータイマーという保険がついている。ウルトラマンは、3分の間に怪獣を倒し、なにも語らずに宇宙に消える。
「ウルトラマンという存在は、実はヒーローものの原型を壊さないための強力なロックになっているのだ。」

という敏樹は、当時の究極のヒーロー性を、我々とは交流を持たないことを理想のヒーローとしている。交流を持つはめになったとしても、強者であるヒーローと弱者である我々とは対等な立場に立てない。だとすれば、ヒーローは助けたものとの関わり合いを持たず、持とうとせず、黙って立ち去ってくれればよいのである。そうすれば、助けられた我々も、ヒーローに気を使うことをせず、報酬も、見返りも、何も考える必要がないからである。

10年前の対談では、「ウルトラマン=巨大化、はダサい」と言っていた敏樹の最近になっての考察で、私は「なぜウルトラマンは正体を明かさないのか」という謎に少し近づけた気になりました。

メビウスは、その意味で新しい作品だし、ティガはその意味で最後の作品、って感じなのかなあ、なんて。

伊上勝、という人の評伝を読んだはずなんですが、なんだか特撮の変遷を見るような気持になりました。


酔っぱらっているので(ヲイ!)またしても文章がまとまらないけど、とりあえず。
posted by イラ at 00:54| Comment(0) | 読書
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